母校の周辺

1、地理的環境

 1.事務局所在地
  (寺尾中学校内

〒230−0074
横浜市鶴見区北寺尾3丁目13−1
FAX番号:045−585−9499

 2.環  境

横浜市立寺尾中学校は、JR鶴見駅の西方、多摩丘陵の西南端の大地 に広がり、
鶴見区全体からみてほぼ西北にある。
近くに県立三ツ池公園、曹洞宗大本山總持寺があり、京浜工業地帯の
大小工場群の背後にあっても煙害などから遠く、富士、足柄、丹沢連山を望み、
教育環境としは好条件に恵まれ、保護者の教育に対する関心は極めて高い。

 3.交通機関

JR鶴見駅西口より川崎鶴見臨港バス
  6番乗り場より 鶴06系統(寺谷循環線)
    または   鶴07系統(三ツ池公園経由駒岡車庫行き・三ツ池公園行き)
  7番乗り場より 鶴05系統(東寺尾循環線)
    または   川50系統(川崎駅西口行き)

  「寺尾中学校入口」バス停下車徒歩5分。

        


2、母校の概要

(1)卒業生徒数推移  (卒業生徒総数 32,015名、令和7年3月31日現在)




(2)学区概要


  行政区・町としては鶴見区のうち獅子ヶ谷、北寺尾、馬場、東寺尾の大部分、岸谷、鶴見、駒岡町の一部を含む極めて広範囲
 の地域 に渡っている。
  東寺尾、北寺尾、馬場の高台の一帯は、市内屈指の 閑静な住宅地帯として古くから知られている。通称第二国道が学区の中央を
 えぐるように通り、その北西部には、なお若干の農地、雑木林を残しているが近年会社の住宅、個人アパートさらには建売住 宅な
 どの数が増加するにともなって次第に宅地に変貌しつつある。
  学区内には公立小7校(旭、駒岡、寺尾、東台、獅子ヶ谷、馬場、上寺尾)、公立高校2校 (県立鶴見高等学校、市立東高等学校)、
 私立小中高校4校(鶴見大学付属中学校・高等学校、白鵬女子高等学校、橘学苑中学校・高等学校、聖ヨゼフ学園小学校・中学校・
 高等学校)、私立大学1校(鶴見大学・鶴見大学短期大学部)などがあり、鶴見文教地区を形成している。
  また県立三ッ池公園、曹洞宗大本山總持寺の風致地区を包括し、京浜工業地帯の大小工場群の背後にあっても煙害などからも遠く
 富士、足柄、丹沢連山を望み、教育環境としては好条件に恵まれ、保護者の教育に対する関心は極めて高い。

(3)「ふじづか」の由来

  鶴見がまだ「橘樹郡」であった頃は、寺尾や末吉一帯の丘は、畑や雑木林におおわれ、その間を細い道がどこまでも見えかくれして
 続いていた。たまに農家の人の姿を見る位で、全く物静かなのんびりした所であった。

   (注:当地は、昭和2年に横浜市に編入されるまで、「橘樹郡旭村」でした


          


      注:図中「ヨロガ池」は「鎧ヶ池(よろいがいけ)」とも呼ばれ、現在の第二京浜「北寺尾」交差点付近にありました。
        また「旭小学校」は、当時は現在の場所ではなく、臨港バス「獅子ヶ谷」バス停付近にありました。

  三ツ池が、山あいの黒々と茂った樹々の間からチラリと見える丘の上は、特に富士山の眺望に優れ、丹沢・大山を前にして、いつも
 気高い姿を仰ぐ事ができた。
  その丘の畑の中に古くから“ふじ塚”と呼ばれていた、周囲20m位の小高円塚があり、その上には樹齢80年位の老松が長く枝を
 地上に垂れ下げ、樹下には富士浅間を祀った小社があって、古くから富士信仰の場所となっていた。付近にはいくつかの古塚も見
 られ、おそらく“ふじ塚”も初めは古墳であったのを、後世富士信仰の好地として利用したのではあるまいか。江戸時代の「新編武蔵
 野風土記」にも記載されており、名高いものであった。

  それが惜しい事に老松は枯れ、塚は戦時中高射砲陣地となった為、軍の手によって崩され、跡形もなくなってしまい、今はただ古老
 の話に残るばかりとなった。
  「ふじづか」の由来は現在の寺尾中学校校舎の中程に、もと“ふじ塚”があったので、そのゆかりから名付けられた。


   ※昭和33年発行「ふじづか」第2号より引用、一部加筆修正